5分のラジオで売れた50台小さな反応を、事業の可能性として捉える
公開 2026年11月2日

1990年、長崎のカメラ店の店主が5分のラジオで紹介したカメラが50台売れた。ジャパネットたかたと、前橋で個人で始めた電器店から育ったヤマダ電機の最初のころを、会社の沿革と創業者本人の言葉からたどり、小さな反応をどう次の一手につなげ、広げた後に何を止めたり絞ったりしたのかを読み解きます。
1990年、長崎県佐世保市のカメラ店の店主が、地元のラジオで5分だけ商品を紹介した。1万9800円のカメラが50台売れた。売り上げにすると100万円ほど。店の1か月の売り上げは300万〜400万円ほどだったという。
その店主、髙田明さんは、のちのジャパネットたかたの創業者だ。いまの規模を知っていると、この50台は小さく見える。けれど、本人はこの数字を、驚きとともに何度も語ってきた。
小さな反応を、事業の可能性として見るとは、どういうことか。ジャパネットたかたと、群馬県前橋市で個人で始めた電器店から育ったヤマダ電機(現ヤマダホールディングス)の、最初のころの話を、会社の沿革と創業者本人の言葉からたどる。確かめられたこと、本人の言葉、NouManの読み解きを、分けて書いていく。
先にまとめると
- ジャパネットは5分のラジオで50台。本人は「もっと機会があれば」と考えた
- ヤマダは品ぞろえの限られた店でも売れ、方向性を確かめたと本人が語る
- 両社とも、広げた後に、止めたり絞ったりしたものがある
(1・2点目は会社の沿革と本人の言葉から、3点目は会社の発表と報道から)
1.5分のラジオと、50台のカメラ
ジャパネットの公式の沿革によると、1986年1月、カメラ店のグループから分かれて「株式会社たかた」ができた。1990年3月、長崎放送(NBC)で第一回のラジオショッピングを始め、通信販売に乗り出した。
きっかけについて、髙田さんは日経ビジネス電子版の連載(2022年2月)にこう書いている。店の宣伝で付き合いのあった長崎放送の人から「ラジオで商品を紹介してみないか」と声をかけられた。「これは面白そうだなと私は1万9800円のカメラを5分間で紹介しました」。
結果は、「なんと50台、売り上げにすると100万円ほど」。店の売り上げが月に300万〜400万円ほどだったので、「その反響の大きさには大変驚きました」と書く。別のインタビュー(新R25、2019年)では、「月に数台しか売れないカメラが50台も売れた」とも話している。
大事なのは、その次の一文だと思う。
「1回きり5分だけの放送でしたから、私はもっと機会があればもっと販売できるのではないかと考えました。」
50台という数字を、成功として受け取ったのではない。5分という小さな機会で出た反応を、機会を増やせばどうなるか、という次の問いに変えている。
ただ、機会はすぐには増えなかった。同じ連載で髙田さんは、当時はラジオショッピングの放送枠そのものが少なく、長崎でも最初は年に2回しかなかったと書いている。実績を積みながら、放送局に「月に1回、年12回お願いできませんか」と頼んだという。新R25のインタビューでは、長崎の局で枠を増やすのが難しくなると、ほかの県の局へ枠を頼みに回ったと話している。
沿革を見ると、広がりは枠を一つずつ取りに行く形で進んだ。1991年3月に北海道から沖縄までのラジオショッピングの全国ネットができ、1994年6月に深夜30分のテレビショッピングを始めた。ラジオの1回目から全国のラジオまで1年、テレビまで4年かかっている。テレビへの進出は、最初から考えていたわけではなく、ラジオの広がりができたときに「初めてテレビがあるなと思っただけ」だと本人は話している(東洋経済オンラインの企画記事、2018年の取材)。
いまのジャパネットグループの持株会社、ジャパネットホールディングスは、東京証券取引所の上場銘柄の一覧(日本取引所グループ、2026年9月末)に載っておらず、東証には上場していない。上場会社のような決算の資料を公開資料では確かめられなかったため、この記事では会社の規模の数字は使わず、沿革と本人の言葉を手がかりにする。
本人は、うまくいかなかった時期のことも話している。ラジオを始めたころは「なかなか商品が売れないことがありました」とし、その理由を、「やったつもり」「伝えたつもり」になっていたからだと振り返っている(同じ企画記事)。
2.品ぞろえが限られた店でも、売れた
ヤマダ電機の有価証券報告書の沿革によると、1973年4月、山田昇さんが群馬県前橋市で「ヤマダ電化サービス」を個人で創業した。1974年に有限会社、1983年に株式会社となって、本格的なチェーン展開を始め、1989年に株式を店頭登録、2000年に東京証券取引所の市場第一部に上場した。いまのヤマダホールディングスは、東証のプライム市場に上場している(日本取引所グループの東証上場銘柄一覧、2026年9月末)。
山田さんは電波新聞の70周年特集(2020年)で、メーカーに10年勤めたあと、「ナショナル(現パナソニック)ショップとしてスタート」したと話している。独立の前には、週末に飛び込みで客の家を訪ね、どれぐらいの反応が得られるかを自分で調べたという。「独立したら君の店から買うよ」と言う客もいた、と振り返る。のちに、一つのメーカーの系列ではなく、いくつものメーカーの商品を並べる店(混売の店)に移った。その1号店について、こう語る。
「系列店やメーカーが力を持っていましたので、混売1号店は店舗の入り口にバリケードを張られた上、販売できる商品も限られていました。」
「しかし、それでも売れました。その時、混売という方向性は間違っていないと確信しました。」
ここでの反応は、売れた台数ではない。条件が悪く、品ぞろえも限られた店で、それでも客が買った、という事実だ。山田さんは、それを方向性の確認として受け取っている。
創業のころの店の広さや人数、最初の売り上げは、よく語られるものの、本人の言葉や会社の資料では確かめられなかったので、ここでは書かない。
3.広げた後に、止めたもの
小さな反応から始まった両社も、その後ずっと同じ方向に進んだわけではない。
ジャパネットは2004年、顧客の情報の流出への対応として、テレビ・ラジオ・ウェブの通販を自粛した。4月下旬にテレビとラジオから再開し、ネット通販の再開時期は、その時点では決まっていなかった(INTERNET Watch、2004年)。2代目の社長の髙田旭人さんは、扱う商品を約8,500点から約600点に絞ったと話している(現代ビジネス、2019年)。
ヤマダ電機は2013年、中国の事業の一部から撤退した。その特別損失に、住宅関連の事業の先行投資、ネット通販との競争による利益率の低下が重なり、9月までの中間期は赤字になった(ビジネス+IT、2013年)。2015年には、郊外を中心に採算の合わない店を閉じたり、業態を変えたりしている(BCN、2015年。閉じた店の数は報道で違う)。
NouManの読み解き事実を踏まえた、Workerプラス編集長の見方
二つの会社の最初の話は、「信じて続けたから成功した」と読まれやすい。髙田さんも山田さんも、確かに自分の判断に強い手応えを持っていたように読める。けれど、本人の言葉を順に並べると、見えるのは信念だけではない。5分の放送の後は「もっと機会があれば」と考え、少ない放送枠を、実績を見せながら一つずつ取りに行った。テレビへの進出は計画ではなかったと本人は言うが、その時々の反応が、次に頼む枠や局を決める手がかりになっていたように読める。山田さんは、独立の前に客の反応を自分で確かめ、条件の悪い混売の1号店で売れたことを、方向性の確かめとして使った。そして両社とも、広げた後に、事件への対応で通販を止めたり、商品や店を絞ったりしている。小さな反応は、続ける理由であると同時に、次の一手を選ぶ材料だった、と読める。ただし、両社の成功の原因を、この反応の受け止め方だけで説明できるわけではない。市場の変化、商品、人、資金、運も重なっている。
4.NouManは、小さな反応から何を学ぶか
ここからは、NouManの読み解きだ。
NouManも、まだ小さな事業だ。農家の記録と相談のアプリ「NouMan Worker」も、このWorkerプラスも、使ってくれる人、読んでくれる人の数は、いまは大きくない。
NouManの読み解き事実を踏まえた、Workerプラス編集長の見方
二つの会社の話から、NouManが自分たちに当てはめたいのは、次の三つだ。
- 反応の数より、反応の中身を見る。 50台は、店の月の売り上げと比べて初めて大きさが分かった。混売の1号店は、条件の悪さと比べて意味が分かった。少ない反応でも、何と比べて、どこで起きたのかを見る
- 次の小さな試しを決めておく。 髙田さんは計画として語っていないが、NouManは「もっと機会があれば」を、機会を増やせば反応も増えるのか、という問いとして読む。反応を見たら、次に何を一つ変えて試すかを決める
- 続けない判断も、先に決めておく。 両社とも、広げたものを止めたり絞ったりしている。そこからNouManは、反応が弱いまま何も変えずに続けるのではなく、どこまで試して、どうなったら止めるかを、始める前に決めておきたいと考える(両社がそうしていたかは、資料からは分からない)
畑や店の小さな反応も、同じように読めるかもしれない。直売所で一品だけがよく売れた。一軒の店から、追加の注文が来た。そのとき、まず何と比べるか。いつもの売れ方か、同じ棚の別の品か、去年の同じ時期か。次に、一つだけ変えて試す。置く場所、量、袋の大きさ、出す曜日。そして、どこまで試して、どうなったら元に戻すかを先に決めておく。一度の反応が、たまたまなのか、続くものなのかは、そうして試すまで分からない。
最初の50台は、それだけで事業になったわけではない。その数字を見て、何を考え、次に何を試したか。小さな反応の価値は、その後の動き方で決まるのだと思う。
補足
この記事は、2026年11月2日時点の公開資料をもとにしています。最新情報は、各社の公式サイト等でご確認ください。
出典
- 沿革 資料を開く
- 会社概要(株式会社ジャパネットホールディングス) 資料を開く
- 髙田明「ジャパネット髙田氏『1回きり5分だけ』のラジオ通販が変えた運命」(連載「ジャパネット創業者髙田明『今を生きる』経営」) 資料を開く
- 高田さん、“街のカメラ屋さん”が1000億円規模の会社になれたのはなぜですか? 資料を開く
- 「未来でも過去でもなく、今の瞬間を生きていく」(ブランドコンテンツ、EY アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー。取材 2018年8月9日) 資料を開く
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